2018-05-15 第196回国会 衆議院 法務委員会 第12号
この移行のプロセスが長くなっているだけでなく、工業化時代でありますと、子供期から成人期まで一本の順序立った連続的な移行のルートというものがあって、要するに、レールがあって、そのレールをみんなが同時に歩むという形でございますけれども、一九九〇年代の後半になると、日本の場合でも、先進国より二十年くらい遅かったと思いますけれども、移行期が長期化し、直線的な移行からジグザグで複雑な移行のパターンへと変わって
この移行のプロセスが長くなっているだけでなく、工業化時代でありますと、子供期から成人期まで一本の順序立った連続的な移行のルートというものがあって、要するに、レールがあって、そのレールをみんなが同時に歩むという形でございますけれども、一九九〇年代の後半になると、日本の場合でも、先進国より二十年くらい遅かったと思いますけれども、移行期が長期化し、直線的な移行からジグザグで複雑な移行のパターンへと変わって
人間の生活の豊かさというのは、工業化時代以降はエネルギーがどれだけ使えるかということに大きく影響されてきました。そのエネルギーが間もなく枯渇するというふうに言われておりますけれども、一方、人類は新しい技術を生み出してきたと。そして、この新しい技術を今、人類は世界中に普及できる一歩手前まで持ってきていると。
世界人口が一〇〇億近くにまで増加していく今後のポスト工業化時代に稀少財となるのは、環境であり、資源であり、技術である。 「環境生産性、資源生産性、技術生産性」を高めて成長していく時代へ。まさに、日本の強みが最大限活用できる時代となるのだ。 その意味では、これまで以上の勤勉さ、創造力が求められる と述べていられます。
まず、情報化時代への対応ですが、都心の本社機能というのは、工業化時代には、大量の従業員を郊外から都心に集めまして、そして大量の事務、伝票を処理する場でございました。しかし、高度情報化時代には、知的生産性や交流機能が求められております。これらの都心機能の転換については、都市再生法等で対応しているところであろうかと思います。
情報化時代に至りますと、工業化時代のように、例えば経済産業省、昔の通産省が、こういう方向でこういうふうにリードしていこうというようなことで産業界をリードするというのには向かない時代、それが非常に難しくなる時代であるというふうに思っておるわけでございます。
それは大臣のお言葉をかりれば、二十世紀という工業化時代、あるいは高度成長を目指してきたその中で負の遺産というものがこの二十世紀でお互いがこれを解決できなかった、そういうことを今朝ほど来から大臣が言われたように思うんです。
やっぱり私は、今、脱工業化というのはこれはいわゆる情報化──工業化時代というのは土地というものが平面に広がっていったんですね、ずっと横に広がっていった。ところが、もうそんな時代じゃなくなって今度は情報化、いわゆるIT時代になってくればそんなに場所も要らない。
この潮流を切っては絶対にいけないというのが本当に私思うことでございまして、もちろん新しい時代は脱工業化時代ということでございますけれども、しかしよく考えてみれば、着ているものもそうだし、食べるものもそうだし、脱工業化または農業化しても、やっぱりそれはそうじゃなくて、今までのポーションはあって、それプラスアルファの部分が若干ふえるということだと私は思います。
本日、ただいま、長洲一二前神奈川県知事の県民葬が行われておりますが、長洲さんは、ポスト工業化時代が行き詰まりを見せていた二十二年前、現代文明にかわる新しい文明モデルとして地方の時代を提唱いたしました。
ニューヨークのような高層ビルがたくさん建っているものは二十世紀型の工業化時代の都市であって、二十一世紀の都市というのは超高層ビルが建ち並ぶものではない。もっと全体が低層で、そして緑がふんだんにあり、水があり、そして光があるといったそういう都市をイメージしております。
したがって、さっきもネットワークのことを申し上げましたが、ネットワーク全体とその部分が果たす役割、将来首都だったら首都、そのファンクション自身ももちろん影響を受けると思いますが、今の御指摘の一括して物理的に何かをごっそりというのは一確かにちょっと工業化社会で、工業化時代の首都という概念が非常に強く反映していると思います。
そういう中で、どちらかといえば植民地時代に虐げられ、略奪をされ、そういう中から教育もままならない、大工業化時代の中でそれの基盤となる物づくりの基盤というものがほとんどできていなかった、そういう国々が大変多かったのではないだろうかというふうに思います。
いてございますのですけれども、要するに工業化社会が持っておりましたパラダイムが情報社会になるとどのような転換をするかということを羅列したものでございますが、私が申し上げたいのは、情報という全く新しい、情報というものは古いわけでございますけれども、情報化、つまり情報をうまく体系づけてうまく活用するという手段、こういうものができるような時代になってまいりますと、情報化というものが持っている非常に特性、これを、工業化時代
当時の状況の中から考えると、日本の国も、戦後工業化時代に入って勤労者所得が増大をする一方、農業所得との格差が非常に出て顕著になってまいりました。
これからはコンピューターの普及、バイオ技術の革新で時代は工業化時代から高度工業化、脱工業化時代に向って猛スピードで変ってゆきます。 いま世界の中で日本の国際化が叫ばれています。科学、技術が、そして産業経済が国際化を果したように、私どもの「政治の国際化」が何よりも必要だと思います。 二十世紀の素粒子物理学は核エネルギーを開発しました。核兵器の恐怖も生れました。
これは七ページ目の上のグラフをごらんいただきたいわけですが、ポンチ絵が書いてございますけれども、工業化時代のエネルギー供給構造というのは需要が非常に急激にふえたわけでありますから供給量もふえたわけでありますが、そのときに主要供給源がどんどん変わっていったわけであります。
もう一度、特に地方大小都市の中心に——今まで、少なくとも工業化時代には大中都市の中心に駅というものは存在したというふうに思われますけれども、それが交通体系その他の急変によってだんだん置き去りにされてくる、そういう地域も出てきているわけですから、もう一度駅というものを中心にいたしまして、その駅で新しい事業、サービスなりあるいはレストランなりショッピングなり、あるいはさまざまな情報のいわばターミナル、つまり
今先生の御質問で、しからば今後そういう産業構造の変化がどうなっていくかということを重ね合せながら考えてまいりますと、恐らく従来、高度成長期の重化学工業化時代のいわゆる臨海工業立地というのに比べまして、現在のハイテク産業その他のものというのはかなり立地条件は自由度が高まったといいますか、フットルースとよく言っておりますが、臨海地域でなくても、あるいは内陸地域でも立地ができるような可能性が出てきた。
労働団体は今までいわゆる量的な内需拡大論ですね、このことはもう数年間共通の態度になっておりますから、後ほど幸重参考人の方からお話があると思うのでありますけれども、少しつけ加えますと、今起きております経済の情報化とかあるいはサービス化というものは、過去の高度成長の重化学工業化時代と違いまして、社会資本、社会システムあるいは最終個人消費というものと非常に直結しやすいものでありますから、今後の日本の経済成長
それはぼくは何を言っているかというと、そんなむずかしいことを私らしろうとが申し上げるわけじゃないのですが、ここでひとつ大臣にもお伺いしておきたいと思いますことは、こういうふうに、従来の感覚から脱却したいわゆる脱工業化時代というのですか、知識産業時代のほうに向かって、情報化社会というものの建設が行なわれているという、いわゆる断絶した時代というのですか、不連続性の時代というのですか、全く次元が違った社会構造
事故の防止は、すべてが人命尊重の立場に貫かれて初めてなし得るものであり、今日の工業化時代には、科学技術の反面、それに原因する事故が生じ、安全の保持について厳正な配慮を欠くときには、事故もやむなしという危険な誤った考えを生ずるおそれがあります。最高に性能のよいものは最高に危険であり、科学技術の発達は、相次ぐ死の悲劇を生み、民族自滅の序幕と化するかもしれません。